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国語の受験テクニックへのうしろめたさ。 [国語]

中学受験勉強に対する批判対象の一つに、国語の受験テクニックがあります。子供たちは文章の内容も理解できないのに、国語の解答テクニックだけで正解を導き出している、これが正しい学習法なのか、という批判です。

僕もこのような批判には同調していました。文章の内容が理解できなければ答えが合っていてもあまり意味がないなと考えていたのです。文章の作者は何かを伝えるために文章を書きます。文章を読むということは、その作者の伝えたいことを読み取ることです。それに賛同するか否かは別にして。

だから、僕はメイに国語の受験テクニックを積極的に覚えるように言うのは抵抗がありました。文章を理解できれば国語はできるようになる。読書力をつける、国語の勉強法はそれに尽きる、と思っていたのです。

しかし、中学受験の文章は簡単ではありません。国語もほかの科目と同様に小学生のレベルを超えています。公立高校の入試問題のレベルも超えていると思います。子供たちはそういう文章と格闘しなければなりません。小学生レベルの本の読書だけでは追いつきません。国語の受験テクニックはそのギャップを埋めるために必要なもです。最近になって気がつきました。

中学から習う英語を例に考えると分かりやすいです。英語の不得意な中学生が英語の成績を上げる方法を先生に相談したとします。そして、その相談を受けた英語の先生が、「英語を読めるようになりなさい。英語を読めるようになれば英語の試験は簡単に解ける。」と答えたらどうでしょうか。

英語ができないから相談しているのに、英語ができるようになれば試験の成績が上がるという答えではアドバイスにはなりません。ピントはずれの答えであることはすぐに分かります。

しかし、国語の場合はこのようなアドバイスが正論のように聞こえる。読解力がないから国語ができない。当たり前じゃないですか。だから読解力をつけるために勉強をする。それが受験テクニックの習得のように部外者には見えるのでしょう。そして、僕はそれに対する批判を真に受けていた。

多くの中学生、高校生にとって英語は読むだけで精一杯でしょう。英語は本来語順で読んでいくものですが、中高生は関係代名詞や指示語出に出会うたびに、少し元に戻ったりして、読解法のテクニックを使って英語と格闘します。はじめはしょうがない。みんなそうやって英語を習得していくのです。

中学受験の国語のテクニックも同じことだと思います。受験テクニックを使ってでも解答にたどり着けるということは、文章を文法的に正しく読めているということです。それで十分じゃないですか?そのうちその読解法を基礎にしてむつかしい日本語の文章を理解できるようになるはずです。国語の受験テクニックは、次のステップへ進むための読解法の習得と考えればよいのです。

今になってそのことに気が付きました。気が付くのが遅かったですね。メイが四年くらいのときから、国語を一つの受験科目と割り切って対応していたら、もう少し国語の成績は良かったかな。




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