息子が高校生になる。大人への第一歩 [日記]
中高一貫校に通う息子のメイが高校生になりました。
今週入学式があり、僕も会社を休み参加しました。親としてもう何回も通っている学校ですから何も珍しいものはないのですが、一人息子の高校の入学式です。親としても思うことはありました。
式の最中に、入学式の段の上に掲げられた「高等学校」という文字を凝視していると、特別な感慨が沸いてきました。
僕が、今の僕になったのは高校時代からでした。高校時代に友人に出会い、クラブ活動をし、本を読み、いろいろなことを経験し、今の僕の原型ができた。
それから多少の進歩はし、幾つかの欠点は自分で意識して矯正もしてきましたが、僕の基本形は高校時代にできた原型からあまり変わっていません。
今日からメイにとってのその時代が始まる、メイも大人への道の扉を開いたのだ、と考えると何かさびしさも感じました。
子供の成長はうれしいのです。身長も僕よりも高くなったし、生意気なことも言う。成長したなと思う。
寂しさは、子供と自分との関係の中で、自分の存在の意味が変わって行くことに対する感情です。
中学時代は僕が彼の勉強に介入することもできた。ある意味で、中学受験の延長線上に自分を置くことができた。
しかし、壇上に掲げられた「高等学校入学式」の文字を見て、自分のそういった役目はもう終わりにしなければいけないのだろうと思ったのです。それがさみしかった。
メイを一個の人間としてみる。別のレベルで親として存在していかなくてはならないということなのです。
子供の成長に合わせて親も成長しなければならない。昨日までの自分を変えなければならない。子供が成長していくということはそういうことなのでしょう。
メイの高校入学式は、僕にとってはある意味での卒業式となりました。
今週入学式があり、僕も会社を休み参加しました。親としてもう何回も通っている学校ですから何も珍しいものはないのですが、一人息子の高校の入学式です。親としても思うことはありました。
式の最中に、入学式の段の上に掲げられた「高等学校」という文字を凝視していると、特別な感慨が沸いてきました。
僕が、今の僕になったのは高校時代からでした。高校時代に友人に出会い、クラブ活動をし、本を読み、いろいろなことを経験し、今の僕の原型ができた。
それから多少の進歩はし、幾つかの欠点は自分で意識して矯正もしてきましたが、僕の基本形は高校時代にできた原型からあまり変わっていません。
今日からメイにとってのその時代が始まる、メイも大人への道の扉を開いたのだ、と考えると何かさびしさも感じました。
子供の成長はうれしいのです。身長も僕よりも高くなったし、生意気なことも言う。成長したなと思う。
寂しさは、子供と自分との関係の中で、自分の存在の意味が変わって行くことに対する感情です。
中学時代は僕が彼の勉強に介入することもできた。ある意味で、中学受験の延長線上に自分を置くことができた。
しかし、壇上に掲げられた「高等学校入学式」の文字を見て、自分のそういった役目はもう終わりにしなければいけないのだろうと思ったのです。それがさみしかった。
メイを一個の人間としてみる。別のレベルで親として存在していかなくてはならないということなのです。
子供の成長に合わせて親も成長しなければならない。昨日までの自分を変えなければならない。子供が成長していくということはそういうことなのでしょう。
メイの高校入学式は、僕にとってはある意味での卒業式となりました。
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