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東大合格者数No1.。目標に近づくためにZ会で実力upを。

親の僕も落ち着きを取り戻す。 [市進]

市進は確かに穏やかな雰囲気でした。塾の外で子供を待つ保護者もいません。サピックスのビルの前は保護者であふれていましたしたので、最初は拍子抜けでした。

市進は、まだまだ4年の終わり、理科と社会は、五年から出充分間に合います、というなにかゆっくりした雰囲気で好感をもてました。サピックスでは理科と社会も三年から学びます。

たしかにまだ4年の終わりでした。いったい僕は何をあせっていたのでしょうか。

メイがSAPIXに通っていたころ、僕にとってメイに勉強させるための目的は、毎月の校内テストでよい点を取らせるためでした。メイの偏差値の上下やクラス移動に一喜一憂していた僕と妻の姿は、メイにとっては大きなプレッシャーだったでしょう。

中学受験の意味をまだ良くわからない小学生は、親が喜んでくれるのがうれしくて勉強するのだ、と聞いたことがあります。親が子供の理解度確認テストの出来不出来に過剰に反応し、それで結果として、自分たちの子供を苦しめていたとしたら、それはほんとうに愚かなことです。

しかし、多くの保護者がこの罠にはまっていまのも事実です。一度その罠にはまると、なかなか抜け出せません。最強塾サピックスのマンスリーテストには、ある意味大人に理性を失わせる魔力のようなものがありました。

毎月の定例試験の結果だけでクラス移動しない市進のシステムのおかげで、僕は長期的視点を取り戻すことができました。中学受験はまだ二年先のことなのです。あせる必要など全くないのです。

そして、メイは市進のゆとりカリキュラムのおかげで、小学校生活も、塾の勉強も全力で駆け抜ける五年を迎えます。





メイ、市進に通い始める。 [市進]

メイは小学4年生の終わりの、二月の半ばから市進に通います。

サピックスのころとは一転して、塾のある日はとても楽しそうでした。行ってきまぁーす、の声もとてもとてもハイで、鼻歌が混じることもありました。

市進にではすぐに友達ができました。メイは簡単に市進のクラスメートとなじめたようでした。メイには市進が合っていたのです。

親としては嫌がらずに塾に通ってくれるので一安心でした。3週間ほど前は、中学受験もこれで終わりかと思ったほどでしたから。

簡単な入塾テストを受けました。これは選抜試験ではありません。メイのクラスを決めるためのテストでした。その塾では一番上のクラスに入りましたが、市進全体のレベルでは中くらいのクラスでしす。

市進は5L10とか、Fクラスをもつコア校と複数の衛星校で一つの地域を形成しています。メイが入塾したのは衛星校でしたので上位クラスはありませんでした。

あえて上位クラスのない塾を選びました。市進のコア校はサピックスと同じ駅にありましたので、通わせることは全く問題がありませんでした。しかし、サピックスをやめてすぐに、クラスのレベルがどうのこうのという世界に、メイを入れたくなかったのです。今振り返ると、僕が入りたくなかったのでしょう。








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市進Fクラスの進学実績 [市進]

市進とサピックスでは目指すところが違うと思います。

しかし、市進にも難関校を目指すFクラスがあります。メイは途中でクラス落ちしてしまいましたが、Fクラスの友達の進学先を、メイが知る限りで教えてもらいました。

開成1人、麻布1人、櫻陰1人、筑波大付属1人、早実1人、渋幕1人、あとの子は分からないといっていました。メイの通っていた市進のFクラスは12人か13人だったはずです。

さすがFクラス、サピックスのαクラスに引けをとりません。

親身の指導を掲げる市進ですから、Fクラスでも先生の指導は丁寧でした。メイの国語の成績は普通でしたが、算数の先生の判断でメイはFクラスで勉強しました。単純に偏差値や、1、2回の定例試験の結果でクラス移動させないのが市進の方針のようです。

Fクラスを辞退せざるを得なかったのは残念でしたが、メイは市進が好きでした。市進のシステムや雰囲気がメイに合っていたのだと思います。




サピックス、転塾、市進、転校、そしてクラス落ち [市進]

メイの受験生としての歴史を振り返ります。

メイは小学三年の春に、隣駅にあるサピックスに入塾しました。四年の秋までは何もなくSAPIXで勉強していましたが、冬に成績が急降下、急に塾通いを嫌がりはじめます。サピックスは四年の一月でやめました。

四年の二月から最寄りの駅にある市進学院に入塾させました。SAPIXは1月で4年の勉強は終わり、市進では3月から5年の勉強が始まりましたから、実質的に、小学5年の初めにサピックスから市進へ転塾しました。

市進は順調でした。塾から薦められて、九月から上級クラスの5L10に移動します。この塾には5L10はなかったので、隣駅の市進へ転校することになりました。

五年生のうちは順調でした。が、五年の二月に腕を骨折。メイは一ヶ月以上片腕生活を強いられます。

片腕生活中に六年になって、クラス名はFになります。授業時間と日数が増えたため勉強時間の確保が難しくなり、成績も下降気味になります。メイはFクラスの内部基準偏差値をクリアーするので手一杯になります。クラス落ちのプレッシャーは相当あるようでした。

六年の六月に、下のC2クラスへの移動を塾にお願いします。そしてそのあと塾関係では大きな問題はありませんでした。そして、C2クラスのまま入試を迎えます。

小学校は順調のようでした。我が家では、学校生活中心が基本方針でしたので、受験勉強で学校の宿題、行事にをおろそかにさせたことはありません。しかし、六年秋にクラスメートとちょっとしたいざこざを起こします。受験のプレッシャーが原因なのは明らかでした。

これから、それぞれについて振り返っていきたいと思います。





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