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2月1日を待たずに受験終了。 [試験が始まる]

一年前の1月20日頃、2月1日校の受験をやめることにしました。それで、メイの中学受験勉強の終了が確定しました。

メイは、既に合格していた2校の中の1校への進学を希望するようになっていました。第二志望ということになっていましたが、メイ自身はその中学を結構気に入っていたようなのです。妻も、2月1日受験予定校を押していましたが、その地元中学への進学に方向転換していました。

僕が目論んでいたように事は運んでいたのです。無理に説得する必要もなく、妻もごく自然に地元の学校への進学が最もよい選択であると納得してくれました。

中学受験勉強の終了。しかし、感無量、苦しくつらかったメイとの受験勉強の日々が走馬灯のように思い出され、、、とういドラマチックな感動はなかったですね。ホッとしたというのが正直な気持ちでした。

もし、圧倒的な存在感のある第一志望を家族間で共有していれば、第一志望の学校に合格したらかなりの感動でしょう。合格の喜びと受験の終了の感慨が同時に起こり、押さえ切れない感動がこみ上げてきたでしょう。

我が家では、第一志望はあいまいでした。受験校に序列はつけていましたが、受験する学校はどの学校もよい学校であるということにしていました。どの学校に進学することになっても自信を持って進学してほしかったので、何が何でも上位志望校、という雰囲気は作らないようにしていたのです。

また、合格から10日以上も経過していたので、僕自身も当初の感激はとっくに薄れていたのです。

それよりも、糸の切れた凧のようにもうコントロールが効かずに遊び呆けるであろうメイをどう勉強させるか、僕はもうそんなことを心配していました。




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二月一日の意味。 [試験が始まる]

2月1日は首都圏の中学受験生にとっては大イベントの日です。子供たちは、遊びたいのも我慢して、「2009年の2月1日の受験」を目指してがんばってきたのです。

ですから、2月1日校の進学を望むか望まないかは二の次で、テレビや新聞でも報道される中学受験のハイライトの2月1日には、メイも受験するべきかなと考えていました。

その前に受験を終わらせてしまうのは、なにか画龍点睛を欠くというか、メイの中学受験勉強ストーリーの最後にきちんとした句読点が打たれないように思えたのです。

妻も、2月1日受験の花道を楽しみにしていました。だから、1月校の花道を僕に譲ってくれていたのです。彼女も、メイが合格した地元の学校の一つを気に入っていて、日に日にその学校への進学に傾いているようでしたが、僕から「そうしよう」とは言いにくかった。

また、市進の算数の先生にも電話で念を押された際に、「2月1日は受験させます」と答えてしまっていたのです。合格数が勝負の塾としては塾生に最後まで受験してほしいのは理解できました。本当は迷っていたのですが、市進にはお世話になっていたので、「受験させる」と言い切ってしまったのでした。

要するに、僕たちにとって2月1日はもうそれ以上の意味を持っていなかったのです。誰かが受験終了を切り出せば、もう誰も反対しない雰囲気でした。そしてそれは中学受験プロジェクトにおける僕の最後の仕事となりました。




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二月一日校。 [試験が始まる]

二月一日校は第一志望校です。御三家は二月一日に一度だけの入試。複数回試験を行う学校は御三家挑戦組みが受験しない二月一日は格段に合格しやすくなります。二月一日に第一志望を持ってくるのは普通だし、常識です。

一年前のメイの中学受験で、我が家も二月一日受験校を第一志望にし、塾にも登録しました。

しかし、僕たちは必ずしも二月一日校が第一志望で意見が固まっていたわけではないのです。二月一日の学校は、二月一日に試験のある学校の中でもっとも受験させたい学校、に過ぎませんでした。

妻は二月一日校を第一志望で押していましたが、メイの熱意は「ママが言うから」第一志望にしていたという程度でした。僕は「君たちが望むならそうしたら」くらいのスタンスでいましたが、本当は第一志望校への進学を望んではいませんでした。

一番のネックはダブルスクールです。学校側は、生徒には勉強はさせる、と説明会では断言はしていましたが、学校のカリキュラムがそれをサポートするようには見えません。そのすばらしい進学実績は、おそらくダブルスクールによるものです。

その学校の難易度は、メイの偏差値でも二月一日受験では合格確率80%をもらえる程度でしたが、あの「鉄力会」の入塾試験免除校に指定されているのです。初めからダブルスクールを前提で進学させるご家庭にはかなりの「お買い得校」で、お医者様のご子息が多くいらっしゃるというのもうなずけます。

しかし、我が家の場合は経済的理由で、中学入学時からのダブルスクールのつもりはありませんでした。メイも進学後の塾通いは望んでいませんでした。ですから、我が家のようなケースでは、その進学実績はかなり割り引いて考えなくてはならなかったのです。

それでも受験校に選んだのは、生徒の雰囲気、校長先生の熱意、そしてアクセスのよさでした。

受験校を考えるとき、公共交通機関によるアクセスは重要なポイントでした。二月一日校で我が家から一番アクセスがよいのは開成、その次が海城でしたが、この両校は難関校を受験しないと決めた時点で対象外でした。

難関校を対象外にしたのは、メイの偏差値が足りないこと。最も一般的な理由ですね。合格確率が低い。

もう一つの理由は、合格してしまう「リスク」でした。偏差値が低くても、五分の一、十分の一で合格してしまう確立はあるわけです。それを「チャンス」とみて偏差値が届かない学校を受験させるご家庭も多いでしょう。我が家ではそれを「リスク」と考えたのです。

もし難関校に合格して進学してしまったら、成績最下位層からのスタートを余儀なくされる可能性が大きいでしょう。入学時の序列が6年間続くとは思いませんが、最初成績最下位層になり、そこから盛り返してくるには忍耐力が必要です。それは少なくとも当時の、そして今のメイにも無理です。難関校では、そのままいわゆる「深海魚」になってしまうリスクが大きいと考えました。

最も魅力的であった二月一日校は、距離的には決して遠くないのに、公共の交通機関を使うとどうしても遠くなってしまい、断念しました。

要するに、二月一日校は我が家にとって、どうしても入学させたい憧れの学校ではなかったのです。その学校の受験を残すのみとなったメイが、受験勉強へのモチベーションを保てないのは、ある意味、仕方がないことだったのです。




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一月の受験終了。 [試験が始まる]

一年前の一月、試験解禁の初日と二日目に合格をもらって、それで一月の受験は終わらせました。

第一週には第四志望の受験も予定していましたが、願書の受付が13日でしたから、願書は提出さず。僕はこの学校を複数回訪問して、偏差値以上の魅力を感じていました。ですから、もうこの学校には縁がない状況になったとき、おかしな話ですが、少しさびしかったです。

合格をいただいた両校ともに、二回目の試験の受験の権利もありました。特待生狙いでの受験は可能でしたが、メイの学力では特待生はとても無理。権利は放棄しました。それで、一月の試験の予定はなくなりました。

去年はサンデーショックの年でしたので、二月一日の日曜日の入試を残すだけになったメイは、中学受験で学校を一度も休まないことは確定したのです。

他の中学受験組みの児童たちが、平日何回も学校を休む中、メイは学校を一度も休むことなく登校しました。一度も学校を休まなかったメイは、本当に受験したのかと友だちに聞かれたようで、それが何かうれしかったようでした。

しかし、当面試験がない状況の中で、メイは徐々に塾から遠ざかります。笑顔が増えたのと反比例するように、受験に対する意欲を失って行きました。




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合格でも受け入れるには時間が必要。 [試験が始まる]

二日目の試験で、メイが失敗していたと悔やんだのは社会でした。しかし、本当に失敗していたのは、最初の科目の国語です。

市進の先生との自己採点では60点くらいでしたが、実際の点数はなんと41点。二日目の学校は、試験の結果を郵送してくれるのでわかったのです。

メイはこの学校の国語とは相性がよく、国語の出来ないメイにしては過去問の出来はよかったのです。合格者平均はとれていました。ですから、60点とういのは適切な採点で、国語はそのくらいの難易度だったのだと思います。

メイの国語の点数が良くなかったのは、おそらく、初日の試験の合格に浮かれて、ケアレスミスをたくさんしたからでしょう。解答を見つけられても答案用紙に書き間違える、解答を書き入れる欄を間違える、等々の得意のケアレスミスを連発したに違い出来ません。二日目の最初の試験は落ち着いて受けることが出来なかった。

前日に合格を知ることが出来れば一晩寝て落ち着くことが出来たでしょう。しかし、朝起きて突然合格を知らされたわけですから、それにどう対処してよいかわからなかったのも無理はないですね。

浮かれたまま試験に突入。それではとても良い点は取れません。試験会場の入り口で分かれたときに、ずいぶんハイテンションだなと感じました。それがやはり裏目に出たのです。

二科目目の算数は75%の得点でした。落ち着けたのだと思います。算数で国語の失敗を挽回しました。

合格でも子供にとっては初めての経験ですから、それをうまく受け取るには時間がかかる。我が家のケースのように、二日目の試験当日の朝、試験3時間前に初めての合格を伝えるようなことは避けたほうが良いと思います。一晩くらいはその状況を理解する時間を与えてあげないと、子供は落ち着けない。




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試験二日目が終わる。 [試験が始まる]

一年前の二日目の試験終了後、メイは開口一番、「落ちた。集中できなかった」というのです。やっぱり前日の試験の合格を知らせるべきではなかったかなと考えながら、駅に向かいました。

慎重に考えれば、二日目の試験が終わるまで教えるべきでなかった。初日の合格で僕もつい浮かれてしまったのです。メイの喜ぶ顔も早く見たかったし。

駅についてから子供たちの表情を見ると、表情が前日とはぜんぜん違う。明るい子が多いのです。メイのように前日の試験で合格をもたっら子達も多いでしょう。でも、二日目の試験終了直後のメイは少しうつむき加減です。やはり、試験終了後の子供たちの表情は試験の難易度を反映するのだと思います。

僕たちは電車でJRのターミナル駅まで出て、駅ビルで昼食をとりました。僕は寿司でビールでも飲みたかったのですが、メイが塾に寄りたいというのでうどん屋にしました。

中学受験も時間が勝負ですから、模試の後の食事は決まって駅のうどん屋でした。とにかく早く食べられるし、長居もできない。でも、その日はもう急ぐ必要もなかったのでゆっくり昼食をとりたかったのですが、塾といわれると弱いですね。

そのうどん屋で、今日の朝メイをにらめつけたお母さんに遭遇。向こうは覚えてるはずはないですが、お子様のマスクがとても特徴的だったので僕はしっかり覚えていたのです。やはり、朝とは違って上機嫌でした。やっぱり試験は簡単だったのですね。

塾までのJRの車中で今度はメイのクラスメートに会いました。同じ学校を受験していたのです。僕は初対面のお父様に型どおりの挨拶をし、メイはクラスメートと試験の出来を確認をしていました。メイの「試験できた?」の質問に「まあまあ」と答えられて、「これで試験に落ちれなくなった」とボソッといったのがとても印象に残っています。今でも思い出すとおかしい。だってもう試験は終わっていたのですからね。

メイは初日の試験の報告と、二日目の試験の答え合わせのために塾へ行き、僕は塾へのお迎えの時間だけ確認してそのまま帰りました。

今まで何十回もこの塾へメイの送り迎えをしましたが、その日のメイほど颯爽とした姿は見たことがありませんでした。確かに自信に満ち、何か重石が取れたような軽やかさで、メイは階段を駆け上がっていったのでした。

1年前の週末、1月10日と11日は、2日目の学校からも合格をいただいて終わりました。本当に長い週末でした。そして、これからもずっと忘れることのない週末になるでしょう。




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入試二日目の控え室で。 [試験が始まる]

一年前の中学受験二日目、メイと受付で別れた後、僕は控え室で何もやることはありませんでした。眠気に襲われテーブルにうつぶせになり30分くらいは寝たと思います。

起きてから窓の外をのぞくと校庭で高校生がサッカーをしていました。何も考えずにしばらく見ていました。

メイを合格させることができて、達成感というより、安堵感に包まれていました。あんなに穏やかな気分は本当に久しぶだったのです。メイが地元の第二志望の学校に合格できて、メイの喜ぶ姿を見られて、僕は心から安心しました。

僕は窓の外を眺めながら、中学受験に対する僕達のアプローチが正しかったのか考えました。

難関校を狙わなくてよかったのか。もっと偏差値の高い学校を狙うべきではなかったのか。Fクラスで我慢させるべきだったのではないか。そもそもサピックスをやめさせるべきだったのか。これらについても再度考えてみました。ひとつひとつ思い出して確認していきました。

メイを育てた環境、その時の学力、地頭力、我が家の教育方針、そして、僕と妻とメイが中高一貫校に求めるものを顧慮すると、どのような学校が最も僕たちのニーズに合っているのか。合格を一つ得た、それまでとはまったく違う状況で再度考えてみたかったのです。

何回考えても、難関校進学をめざしてもそれによって得られるのは親の一時の虚栄に過ぎないだろう、という結論は変わりませんでした。払わなければならない犠牲と、得られるもののバランスが悪すぎるのです。

僕たちが受験校に選んだ中高一貫校は、欠点も悪評も多く聞きますが、我が家のニーズにはあっていたのです。その内の一つの学校に進学させるのが、メイにとってベストの選択であるという結論には揺らぎはありませんでした。

自信を持ってよいのです。名より実を取る我が家の方針でよいのです。そして、二月一日校を受験する必要があるのかも考えていました。

何もすることない僕は、席を立ち、見学が許されていた高校の校舎の中を歩きました。決してきれいに管理されているとは言い難いその校舎はその為にかえって僕に学生時代のことを思い出させました。

学生時代の思い出に浸りながら、その日にはじめて訪れたその校舎の中を歩きました。中学高校時代の記憶は、僕にとってはかけがえのないものです。その6年は僕の人生で最も重要な時期だったと思う。メイはその6年間を、中高一貫校で過ごすことが決まったのです。それはメイにとって一生の宝物となるでしょう。僕は、期待と、うらやましさすらも感じながら、本当に何回もその校舎の中を歩き回り、メイの試験終了を待ったのでした。




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合格で子供は自信を得る。 [試験が始まる]

一年前の1月11日、僕も妻もメイの反応が楽しみで早起きしました。メイの喜ぶ姿を見たかったのです。クリスマスに、子供の枕元においたプレゼントにどんな反応を示すかを楽しみに待つのと基本的に同じ心境です。

メイは起きてきてもすぐにホワイトボードのメッセージに気がつきませんでした。前日の試験に合格したことを告げても、すぐには状況を理解できなかったようでした。前日の夜までは、二日目の試験後に合格発表を見に行くはずだったのですから仕方がありません。

インターネットで一緒に確認すると、「本当だ、やったぁー」という間延びした反応でした。起きたばかりですからね。でも満面の笑みです。メイは「昨日は結果を見ないって言ってたのに」とか「あぁー、もう集中できない」言いながら緊張した面持ちは完全に消え、上機嫌で準備をして、僕たちは七時前に家を出ました。

僕もこんなリラックスして試験会場に行くのは初めてです。模擬試験でも、もっと緊張しました。二日目も入試本番には変わりませんから、それなりの緊張感を持って臨まなくてはいけません。でも、緊張できない。

メイは電車の中で足をばたつかせたりしてふざけ気味。同じ電車で学校に受験に行く保護者の方に、注意はされませんでしたが、きつくにらまれてしまいました。それに気づいたメイは少しだけおとなしくなりましたが、でも自然に笑みが出るのです。

二日目は予定通りの電車で、多くの受験生たちと一緒に受験校へ向かいました。花道では国語の先生が迎えてくれました。先生に「合格おめでとう」といわれて、笑顔で握手。初日は緊張して先生たちの顔も見られなかったのに。

「じゃいってくるね!!」とメイは元気よく手を振って会場へ入っていきました。初日とはぜんぜん違う。でもちょっと調子に乗りすぎだったかな。

「合格ではじめてお子様たちは自分が認められたという自信を得ることができます。だからぜひ合格を取らせてあげてください」と、首都圏模試の解説員の方が、模試中の保護者説明会でおっしゃっていたことを思い出しました。

僕もメイが合格を取ることができて本当によかったと思い、安堵していたのでした。





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試験初日、結果を確認する。 [試験が始まる]

一年前、僕は番組の名前もわからない刑事ものドラマを見ながら合格発表の時間を待ちました。初日の試験は第二志望の学校でした。

インターネットでの発表の時間を過ぎても、発表時間すぐではアクセスが集中してつながりにくいだろうと思って、しばらく待ちました。急ぐ必要もありません。

発表時間20分過ぎぐらいに電話が鳴りました。市進の算数の先生からの電話でした。

算数の先生には、朝にも花道でメイを励ましていただきました。おそらく朝の七時過ぎにはもう中学校で市進生を出迎える準備をされていたでしょう。そして夜の十時過ぎに電話。試験期間中の約一ヶ月、塾の先生は本当に一日中仕事です。

合否の確認の電話でした。まだ確認していないことを伝えると、「えっ?」と、あまりにも意外といった反応でした。合否の確認は発表時間すぐにするのがどうも常識のようすね。

僕はメイを早く寝かせることのほうが大事だったので、メイが十分に寝入ってから妻を起こして一緒に確認するつもりでした。翌日の第三志望校の付き添いも僕の担当でしたが、僕は朝には強いので急いで確認する必要は特に感じてはいなかったのです。

確認次第また連絡しますということで電話を切りました。ついにの確認の時が来たのでした。

妻を起こし、

インターネットを立ち上げ、

ホームページにアクセスし、

合否のページを開きます。

緊張しました。

受験番号を入力して、

リターンキー。

合格!!

思わず妻とハイタッチです!!

フランスWカップ予選で、W杯出場を決めた岡野選手のVゴール以来の妻とのハイタッチでした。

でもそれよりもずっとうれしい!!

市進に電話して、先生にお礼を言ってから、

ホワイトボードに 「祝合格!!」 と赤字で大きく書いて、僕も就寝したのでした。

一年前のことです。




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試験初日、結果を見せずに寝かせる。 [試験が始まる]

昨日の夕食に妻が「一年前、何を食べたかしら」と言うのです。昨日の献立だってろくに覚えていない僕がわかる筈はありません。

でも一年前、夕食のメニューは妻には重要なことだったのです。おそらく何か消化によいもの、頭の動きの助けになるものが夕食には並んだのでしょう。僕は気がつかなかったけれど、妻は食事にまで気を配っていてくれたのです。

メイの中学受験は、家族全員が真剣に取り組んだ我が家の大プロジェクトでした。

そのプロジェクトの成果が問われる入学試験の初日、その合否はインターネットで即日発表でした。しかし、僕と妻は、翌日も試験があるメイを結果発表の前に寝かせることにしていました。

まず、十分な睡眠時間をとらせなければいけません。試験当日で最も大切なことは体調です。必要な睡眠時間を考えると、就寝は合否の発表の前でなければなりません。

それに、もし不合格だったら翌日の試験への悪影響は必至でした。人生初の不合格を、小学校6年生が一晩で乗り切れるわけがない。メイの性格を考えると、かなり落ち込むことは明らかでした。

二日目の学校は第三志望校で、ぼくはメイの合格は固いと判断していました。だからこそ、万全の状態で試験を受けさせないと取り返しのつかないことになります。

そのリスクを考えて、僕達も結果を見ないということにして、メイを早く寝かせました。結果は翌日に学校に掲示されることになっていましたから、二日めの試験終了後に一緒に発表を見に行くということでメイを納得させたのです。

不合格だった場合、翌朝も僕と妻は結果を知らないことにして、メイを試験に送り出さなければなりません。メイは九時過ぎに就寝しました。妻も同じ時間に布団に入りました。一年前、メイはまだ妻と布団を並べて寝ていたので、話しのつじつまを合わせるために妻も早く寝たのです。

試験の初日の夜、僕は一人居間でテレビを見ながら合格発表の時間を待っていたのです。




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