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東大合格者数No1.。目標に近づくためにZ会で実力upを。

日能研、2014年結果偏差値 [日記]

今日の出勤は遅いのです。パソコンに向かっていて、ふと、息子のメイの通う学校の中学の偏差値が気になって日能研のサイトを覗いてみました。

28日に2014年の結果偏差値がアップされたようですね。それでちょっと見てみました。

ま、こんなものかな。

大事なのは一貫校に進学してからの勉強です。中学受験の偏差値はまさに「結果」です。進学してからの6年間の勉強が大事。メイの場合は5年間どれだけ頑張ったんだろう、、。

そろそろ出勤です。風が少し強いけど、出勤途中の桜が楽しみです。




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これって学歴フィルター?、という新聞の記事。 [日記]

本日の朝日新聞の朝刊の一面記事は、「これって、学歴フィルター」という記事でした。

日本最大級のマンモス大学に通う女子大生が、就職志望企業の説明会の予約サイトにその受付開始とほぼ同時にアクセスしたら全ての日程が満席でした。あまりに早すぎるので、彼女が偏差値的に上位の学校に通う友人に確認したら、実際は満席でなかった、それでその彼女はこれが噂の「学歴フィルター」ってやつかと気が付く、という記事でした。

学歴は絶対的なものではないことは確かです。実際に自分の周りでも、旧帝大卒でありながら情けないほど仕事ができない人達もいます。それでも、その学歴のためか、彼らの肩書はそれなりです。

学歴はある意味ブランド力でもあります。かつては、このブランド自体が大きな力を持っていたと思います。ですから、仕事に疑問符がついても、そのブランド力である程度まではいけたということもあったと思います。

この学歴ブランド偏重には批判もあり、また例に挙げたようなことから企業の反省もあり、人材採用の試行錯誤が繰り返されるわけですが、結局はまた学歴偏重にもとっできた感があります。

その理由の一つは、今の時代は、かつてよりも高い能力が仕事に求めらるという事実があると思います。簡単な作業はコンピューターが処理してしまいます。そして、ITの進化によって、かつてとは比較にならないくらいの情報が行きかっていています。サラリーマンも、この多量の情報を毎日的確にオンタイムで処理していく力必要なのです。

この情報の処理能力は、限られた時間内に問題を解く学力試験の能力に通じるものがあると思います。、高学歴の学生はこの処理能力が概して高いのです。ですから、基本的な能力が高い人材を選ぼうとすれば、それが学歴重視と重なってしまうことは自然なことだと思います。

もちろんこれだけでなく、判断力やリーダーシップ、そして未来を見る力や勇気もより高いレベルでの仕事をするならば必要になります。これらの能力は人物力であり、学歴で測ることはできません。そして人事面談だけでも測ることは難しいのです。そうるすと結局、学歴は採用の大きな基準とならざるを得ないのです。

息子のメイは高校二年の課程を先週終了しました。彼が受けるセンター試験まで300日を切ってしまいました。もう待ったなしの受験勉強の日々が始まっています。

学歴や偏差値は人生のすべてを決めるものではありません。しかし、それによって人生が大きく変わることも事実です。メイがこれから生きていく社会の事実であるのです。

メイの学歴が彼の将来を助けることになるのか、それとも困難を生むことになるのか、それは来年の一月二月までの努力にかかっている。何か少しかわいそうな気もしますね。自分が生きてきた社会ではあるのですが。





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学校への寄付金を確定申告する。 [日記]

確定申告の季節です。といっても、僕はサラリーマンですから確定申告は年末調整という形で会社に任せています。生命保険の掛け金や住宅ローンの控除は会社が代行して処理してくれるので、基本的に確定申告とは無縁です。

しかし、今年は確定申告をしました。息子のメイが通う学校にわずかばかりの寄付をしたので、それによる所得税の還付を受けるためです。

息子の学校への寄付は中学の時に一度行いました。その時は、お世話になるのだし、一度くらいは寄付をしてもよいかなと考えてのものでした。妻からの情報によると、同級生で寄付金を払っている家庭はそれほど多くなく、それなら一度の寄付で十分だろうと考えていました。寄付は基本的に生活に余裕がある人たちがすればよいものなのです。

しかし去年、二度目の寄付をしました。これはある意味で、初詣のお賽銭のようなものでした。息子のメイが勉強する場所への願掛けというか、うまく表現できませんが、自分を納得させるための寄付だったのです。

受験まであと一年を切りました。3年生になっても課外講座はありますから、メイの受験勉強は学校が中心になるでしょう。そこでの勉強が、一年後の、今までの最大の目標である大学受験の結果を左右するのです。

大学受験が成功したら、お礼のつもりの寄付をもう一度したいと思います。神頼みをしているわけですから。もちろん、そうなることを、心から望んでします。




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神頼みでスタートした最後の一年。 [日記]

埼玉県の中学受験が始まっています。10日の朝の通勤時に、受験生である小学生とその保護者の方たちと同じ車両になりました。どの顔も緊張している面持ちでした。本命校の受験でなくても緊張するのは当然です。

僕たちも5年前に中学受験を経験しました。その初日は僕が息子のメイに付き添い、試験中は控室でわらにもすがる気持ちで膝の上で手を合わせていたのです。

この祈りの基本的な形は、生理的に気持ちを落ち着ける効果があるそうです。確かに、手を合わせると心が落ち着きます。僕はそうやってメイの試験が終わるのを待っていたのです。

無宗教といわれる日本人でも、お正月には大勢の人が初詣に出向き、多くの人にとっておそらく年1度のお祈りのポーズで神様に願い事をします。賽銭箱にお金を投げ入れ願い事をしてから立ち去る人たちの表情が穏やかなのはこの祈りのポーズの効果かもしれません。

僕の今年の初詣は、地元の神社と大宮氷川神社でした。

僕は二十歳になってから毎年大宮氷川神社に初もうでに行っていました。御利益のほどは分かりませんが、特に悪いことがなければそれもご利益と考えることもでき、そう考えてしまうと平々凡々たる日々の連続であっても毎年行かざるを得ないのです。

しかし、過去2年、僕は大宮氷川神社に行かず、初もうでは近所の神社で済ませていました。その間、家族の健康も僕の仕事も別段問題はなかったのです。全く問題ないように見えましたが、メイの成績、特に模擬試験の偏差値は低迷していました。

メイの成績の低迷と大宮氷川神社の初詣とは実質的に何の関係もありません。お宮参りで成績が上がるなら毎日だって行きます。

しかし、何らかのことを期待して初詣に行くくらいの信心はあるので、大宮氷川神社に初もうでに行かなかった年に息子の成績が低迷していたということに気が付いてしまうと、この事実はもう無視できません。

それで、僕は大宮氷川神社の初もうでを復活させたのです。お賽銭は過去2年分も含めて通常の3倍にし、具体的な模擬試験名とその目標とする偏差値を神様にお願いしてきました。

僕はこうしてメイの大学受験勉強の1年を神頼みでスタートさせました。あと一年と思えば思うほど気持ちは急く。でももう親として何もできない。そんな時は両手を胸の前に組み心を落ち着けることにします。天は自ら助くる者を助く、結局はそいうことなのです。この一年はメイの頑張りがすべてなのですから。




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そして父になる、を見た。 [日記]

先週の土曜日の「そして父になる」を近所のMOVIXで見ました。

僕はかつては映画館に毎週通い年に100本くらい見る映画ファンでしたが、最近は娯楽映画をたまに見る程度で、映画を観終わった後に内容を振り返るようなことはあまりありませんでした。しかし、「そして父になる」は見終わって一週間以上経つのですが、印象的なシーンが思い出されます。久々にずしりと心に残る映画でした

この映画は子供が小学校に上がる前から入学後の夏くらいまでの期間を扱っていて、東京の高層マンションに居を構えるエリートサラリーマン家と、地方で電気店を営む決して豊かではない家庭が対照的に描かれます。この映画のメインテーマは両者の価値観の対立であるという見方もあると思います。

我が家の一人息子のメイは既に高校二年生なのでこの映画の扱う年齢からは遠く離れてしまいましたが、僕も妻もメイとその時代を過ごしたことが当然あるわけで、僕たちは感情移入してこの映画を見たのです。

映画中のエリートサラリーマン家は一人息子をお受験させ私立小学校へ入学させます。僕は決してエリートではないし、高層マンションに住みレクサスのセダンを乗り回すなどとてもできない薄給ですが、メンタル的にはこちらに近いのです。

しかし、この映画においては、リリーフランキーと真木よう子が扮する電気店夫婦の子育てを肯定的に描きます。決してエリートサラリーマン家の教育なり価値観を否定するわけではないのですが、それに対峙する電気店夫婦の価値観がとても自然に描かれ、主人公であるエリートサラリーマンも最後にはそれを受け入れるのです。

一人息子のメイを中学受験させるために小学校時代の後半は塾通いさせた我が家の教育の在り方は、リリーフランキー家とは著しく違うものであったと思います。もしかしたら、僕はリリーフランキー家的なものを積極的に否定しようとしていたかもしれません。

中高一貫校に通わせるかそれとも公立学校にするかというのは、あくまで教育の手段であり決して目的ではありません。しかし、当時僕は息子を中高一貫校に通わせるということを手段でなく目的と考えて息子に接していたような気がするのです。中高一貫校には良い教育があり、それを息子に与えることがよいことであり、だから息子に受験勉強させることは正しいことであると僕は考えていたのだと思うのです。

しかし、映画の中ではこういった考え方は自然体のリリーフランキー家には勝てません。そもそも、家庭での親子の関係は、正しいとか正しくないとかそういったことを超えたところにあることを気づかされました。

メイは小学校時代の我が家の教育をどう感じたのでしょうか。もしかしたら全く違った子育てを期待していたかもしれません。そして僕はメイの父になれていたのでしょうか。これは僕にとってはとても怖い問いです。




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息子が高校生になる。大人への第一歩 [日記]

中高一貫校に通う息子のメイが高校生になりました。

今週入学式があり、僕も会社を休み参加しました。親としてもう何回も通っている学校ですから何も珍しいものはないのですが、一人息子の高校の入学式です。親としても思うことはありました。

式の最中に、入学式の段の上に掲げられた「高等学校」という文字を凝視していると、特別な感慨が沸いてきました。

僕が、今の僕になったのは高校時代からでした。高校時代に友人に出会い、クラブ活動をし、本を読み、いろいろなことを経験し、今の僕の原型ができた。

それから多少の進歩はし、幾つかの欠点は自分で意識して矯正もしてきましたが、僕の基本形は高校時代にできた原型からあまり変わっていません。

今日からメイにとってのその時代が始まる、メイも大人への道の扉を開いたのだ、と考えると何かさびしさも感じました。

子供の成長はうれしいのです。身長も僕よりも高くなったし、生意気なことも言う。成長したなと思う。

寂しさは、子供と自分との関係の中で、自分の存在の意味が変わって行くことに対する感情です。

中学時代は僕が彼の勉強に介入することもできた。ある意味で、中学受験の延長線上に自分を置くことができた。

しかし、壇上に掲げられた「高等学校入学式」の文字を見て、自分のそういった役目はもう終わりにしなければいけないのだろうと思ったのです。それがさみしかった。

メイを一個の人間としてみる。別のレベルで親として存在していかなくてはならないということなのです。

子供の成長に合わせて親も成長しなければならない。昨日までの自分を変えなければならない。子供が成長していくということはそういうことなのでしょう。

メイの高校入学式は、僕にとってはある意味での卒業式となりました。




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今日は東大合格者発表、一貫校にとって特別すぎる日。 [日記]

昨日は地元の公立高校の合格発表の日でした。僕は毎朝七時ちょっと過ぎに家を出るのですが、こんなに早い時間にもかかわらず、保護者と合格発表に向かう中学生達を見かけました。合格発表というのは特別な日です。

今日、3月10日は東大の合格発表日。中高一貫校にとっては特別すぎる一日です。息子のメイが中高一貫校に進学してからは、僕にとってもこの日は特別になりました。

メイが東大を受験することはないでしょう。中学受験勉強のころは、少しは期待したこともあるのですが、やはり、普通の子供には遠い学校です。今の学力では到底手が届きません。

それでも、3月10日が気になってしまうのは、東大の合格者数が学校の評価を決める一つの重要な指標であるからです。子供の通う学校からより多くの東大合格者が出ることは、在校生の保護者としても誇らしいことなのです。

こういうことを書くと、学歴偏重、学歴主義と非難されてしまうかもしれません。こかし、これが偽らざる気持ちなのです。中高一貫校に子供を預けている多く保護者の方同じ気持ちを持っていると思います。

東京大学は日本の大学の頂点です。国家の教育システムが、社会の役に立つ人間を育てるシステムであると考えれば、その頂点にある東京大学は、最も社会に貢献できる人間を育てる事を期待されている機関であると言うことができます。

中高一貫校においても、社会の役に立つ人間を育てることがその教育の目的です。そして、6年間の教育の具体的なゴールが、より良い大学へ生徒たちを送り出すことであるのです。ですから、目標を教育の最高機関である東大の合格者数に置くのは間違いではないと思います。

一部の超難関学校を除けば、東大の受験者は一部の成績上位者だけでしょう。それでも、東大を目標にすることで全体のレベルを上げることができるのです。

東大合格者数が学校の期待通り、もしくはそれ以上であれば、学校の教育方針の正しさが確認され、学校も自信を持つことができます。そして、在校生とその保護者も、学校の教育方針への信頼を深めることができるのです。東大合格者数が好循環を生むのです。

メイの学校も、中堅校と上位校の中間くらいに位置する学校なのですが、やはり東大合格者数を上げることにかなりの力を注いでいます。ですから、東大合格者数が学校全体の与えるインパクトは大きいのです。

保護者としては学校への信頼を持ち続けたい。子供に対する指導も、しっかりと自信を持って進めてほしい。ですから、そのためにも、東大合格者数は学校の期待値の範囲内の収まってほしいのです。

また、学校間の競争のようなものもありますね。大体同じようなレベルで、大学合格者数を競っている学校があります。その学校には負けたくはないという思いもあります。

東大合格者数を競うことに批判もあるとは思います。しかし、学業で身を立てることを志している子供たちが集まる中高一貫校が、より多くの生徒を教育システムの頂点へ送り出そうという努力は批判されるには当たらないと思います。

何事も頂点を目指してこそベストの結果が生まれるのです。そのベストの結果を生む活力が東大を目指す力だと思います。

今日、妻は用事があって学校へ行っています。夕方までいるそうなので、そのころまでには学校は合格者の数を把握しているでしょう。様子を見て、彼女は先生から結果を聞いてくることになっているのです。

楽しみでもあるし、なぜか不安でもあります。大学受験前の子供を持つ親にとって、東大というのは本当の特別な存在ですね。




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偏差値50以下の大学で、学生の半分は「平均」を正確に理解していない。 [日記]

日本数学会が行った調査で、多数の大学生が、小学校で学ぶ「平均」など、数学の基本を正しく理解しておらず、論理的に説明する力も不足していることが分かったそうです。

調査は昨年4~7月、全国の48大学で、受験を終えたばかりの1年生を中心とする約6000人を対象に実施されたそうです。

この結果は、別に驚くに当たらないような気もします。「分数ができない大学生」という衝撃的な本が出版されたのはもう10年以上も前のことです。それから何の改善策も取られず、大学が増え続けているのですから「平均」を理解しない大学生が僅か四分の一にとどまっていることが奇跡のようにも思えます。

平均に関する問題はこれです。↓

 「100人の平均身長が163.5センチ」の場合、(1)163.5センチより高い人と低い人はそれぞれ50人ずついる(2)全員の身長を足すと1万6350センチになる(3)10センチごとに区分けすると160センチ以上170センチ未満の人が最も多い。

平均については、これらの問が正しいかどうかを問う問題でした。正解はもちろん(1)は×、(2)は○、(3)は×です。この問題の全問正答率は76%だったのです。

偏差値50以下の私立大グループだけに絞れば、この設問に対する正解率は51.2%。二人に一人が出来なかったことになります。

大学入試直後の大学一年生に聞いてこの正解率です。四年生に聞いたらもっと低いかもしれません。でも、これも驚くに当たらないと思います。

平均を求める設問であればほぼ全員ができるのでしょう。しかし、平均値というものを与えられた場合、そこから何を読み取るかは思考力の分野だと思います。

世の中には平均という言葉があふれています。平均年収、平均的な勤労者、平均的な生活、平均的な家庭、平均的な成績。平均は何か安心できるような表現です。そして、何の疑問も持たずにそれを受け入れてしまう人たちが多いでしょう。しかし、平均は決して多数派を意味するわけではないし、中庸を意味するものでもありません。

この問題は、形容詞としての「平均」ではなくて、算数的に「平均」て一体なんだろうと少しでも考えることが出来れば間違いにくい。イメージとしての平均と、算数としての平均の違いの気が付くかを問うているのです。ちょっと考えれば間違わない。そういった意味で、学生の思考力のレベルを測るには良い問題です。

この低い正答率は、日本のゆとり教育が、学生たちの思考力アップに貢献しなかったことを明確に示す一つの実例になると思います。

ゆとり教育に相反する中学受験と中高一貫校教育は、詰め込み教育というイメージが強い。しかし、実際にその問題を解いてみると、思考力を高める良問が多いことに気が付きます。中学受験から中高一貫校のコースはつめこみ、受験オンリー、応用力なし、といった見方をされがちですが、実際は、思考力に富んだ若者を育てていると思います。

それは難関大学が思考力のある学生を求めているからです。大学が良問で思考力のある優秀な学生を選別しようとすれば、それを目指す中高一貫校も、そこに入学するための中学入試の勉強も、思考力を育てることに重点が置かれるのです。

一方、ゆとり教育では、思考するための知識を与えないから思考ができない。平均と言われても、多面的に見るための知識がないから思考に発展しないのです。

ゆとり教育は膨大な無思考層を生んだだけなのかもしれません。公教育はいったいどこへ行ってしまうのでしょうね。




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「就活、学歴偏重に拍車」報道。違和感はありません。 [日記]

2月10日の朝日新聞の朝刊に「12月解禁、学歴偏重に拍車」という記事が掲載されていました。「シュウカツは今」という新しい特集の第1回目の記事です。

記事の内容は、有名校が就職活動で優遇されているというものです。その部分の写真を撮ってみました。

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この記事は、「買い手市場の就職戦線が当たり前となるなか、企業は、学歴偏重の採用を強化している」、「13年春卒業組の採用活動で対象大学を設定した企業は前年の39%から48%に増加」、と続きます。

この記事に違和感は全く感じませんでした。難関大学に企業でも役立つ優秀な学生が多いのは当然のことです。

人物本位ということで学校名を伏せての採用を行ったも、結局残るのは難関大学の学生がほとんどだそうです。学校を考慮して行った採用よりも学校が偏ってしまったという話も聞きます。

難関大学偏重の採用の傾向は、企業がグローバルな競争に勝ち残らなければならない中でたどり着いた結論の一つでしょう。採用も効率化が必要なのです。

日本は学歴偏重と言われますが、グローバルに見ればそんなことはありません。日本では高学歴の人たちはかなり控えめに扱われてきたと思います。

日本人は平等好き。そのために、高学歴の人たちをそれに見合う形で扱うことも学歴偏重と言われて、決してポジティブにとらえられてきませんでした。ゆとり教育も、同じような発想から生まれてきたものだと思います。

しかし、グローバル化の前では、企業も日本人の島国的な性向に配慮する余裕がなくなってきたということでしょう。今後、この傾向はより拍車がかかると思います。


息子のメイは特に一芸に秀でたところはありませんから、将来どこかの企業に就職することになると思います。親として、その時にアドバンテージがある大学に進学してほしいと願っています。この新聞記事に掲載されている大学であれば言うことはありませんがどうなるでしょうか。

中高一貫校に通わせていますから親としてできることはやっているつもりです。しかし、大学入試まであと3年。楽しみですが不安でもあります。

メイがもっと勉強してくれればよいのですけどね。全く勉強していないわけでもないので勉強しろとも言いにくい、しかし十分とは言えない。そんなことを考えながら、結局何も言わずにいる今日この頃です。




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テニスの錦織選手と受験勉強。 [日記]

テニスのホープ錦織選手が全豪オープンでベスト16入りです。偉業だと思います。テニスは人気のあるスポーツですが、男子選手として世界のツアーでコンスタントに本線で戦えるような選手は、松岡選手に続いて錦織選手が二人目。それほど、男子テニスツアーのレベルは高いのです。

錦織選手と受験勉強は全く関係ないことなのですが、いま僕の中ではこの二つがリンクしてしまってるのです。そのことを記録しておきます。

僕の友人にテニス好きがいて、息子さんに小学校受験勉強や中学受験勉強さながらの厳しいテニストレーニングを課していました。

友人の奥さんは必ずしもテニス一本の方針に賛成していたわけではなかったのですが、テニスがうまくなれば推薦で有名高校も有名大各も入れるからと説得されていました。奥さんは、どちらかと言えば、こちらに魅力を感じていたようでした。

友人と息子さんの努力の甲斐があって、息子さんは錦織選手とアメリカのテニスアカデミーにテニス留学をするほどの腕前になったのです。

その友人と先日久しぶりに会い、錦織選手の話もしました。

彼によると、錦織選手が本当に強くなっていったのは15歳からだったそうです。それまでは、テニス留学するほどなのですから同世代では際立った選手の一人だったわけですが、その中の一人。友人の息子さんと力は互角だったようです。

友人の意見では、それ以降に錦織選手を他の選手と分けたものは、彼の世界一になるという強い意志と、優れたゲームプランです。フィジカル面では、他の日本選手と変わらない。

錦織選手は、テニスというゲームの特性を理解し、それに合った戦い方ができるのが強みなのです。今年の全豪オープンでも、二試合連続の逆転勝ちでベスト16を決めています。この事からも、彼が5セットゲームの戦い方に優れていることがうかがえます。

僕の場合は、息子に運動でなく勉強をさせたわけです。その勉強においても、友人の息子さんのテニスにおけるほど際立っているわけではありません。ごく普通の中学生。それでも、友人の話は参考になりました。

勉強では運動のフィジカル面は地頭力に置き換えられると思います。同じような地頭力でも、その使い方で大きな差が出てくるのです。

ゲームプランは、受験では問題の特性を理解するということでしょうか。それよりも、試験そのもののを理解するということかもしれません。

そして強い意志。自分が何を達成したいか、それを強く思うことが自分を目標に導いてくれる大きな力になるのです。

中学3年生のメイは春からもう高校生です。これからのメイの大目標は3年後の大学受験になります。その具体的な目標をどれだけ強く持てるか、これが非常に大事なのでしょう。

僕はメイの勉強についてはもう何もできませんが、試験というものを理解したり、具体的な目標を強く持つという点に関しては、親としてまだやれることがあると思います。

友人と話していてこのことに気が付いたので、僕の頭の中では、錦織選手と息子のメイのこれからの勉強がとっても強くリンクしてしまっているのです。

ちなみに友人の息子さんですが、ツアープロを断念し、奥さんの思惑通り、テニスで誰もがうらやむような大学に入学しました。

僕もメイにそのあたりの大学に入ってほしいと考えています。この友人と僕とでは子育ての手段は全然違いました。しかし、その一つの到達点である進学先が同じだったら、何かとても面白いと思うのです。





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