SSブログ

東大合格者数No1.。目標に近づくためにZ会で実力upを。

偏差値批判が生み出したもの。 [偏差値]

学力レベルの指標として信頼度は抜群の偏差値ですが、世間での受けは良くなかった。多くの教育関係問題の原因として偏差値は頻繁に登場しました。教育問題の元凶とすらいわれていたと思います。そして、それは広く世間の支持を得てしまったのです。

偏差値は指標に過ぎない。その指標が問題の原因であるというのは明らかに間違った考えだと思います。しかし、この誤った偏差値批判が日本の教育に残してしまったものは小さくはないと思うのです。

偏差値批判は、正確に言えば偏差値偏重批判です。学生の能力判定が偏差値に偏りすぎだという批判です。偏差値で測れる能力は非常に限定的なのもですから、それをきちんと学校関係者や学生に理解させれば、別に偏差値など批判しなくても良かったのです。しかし、偏差値は批判の矢面に立たされた。問題の根本でなく、現象だけが取り上げられて非難されるよくあるパターンです。

日本の不幸は、その偏差値批判が学力軽視につながってしまったことだと思います。

偏差値は学力テストにおける能力の判定基準です。学力テストは、生徒の学習内容の理解度を測るために広く行われています。学校で教えていることをきちんと勉強する生徒は当然学力テストでよい点を取ります。学校の学習内容が大切であれば、きちんと勉強してテストでよい点をとる生徒は賞賛されるべきではないですか?点数の悪い生徒へは、もっと勉強するように指導するべきでしょう。でも、偏差値批判はそれを許さない。偏差値批判派は、学校の勉強ができてもできなくても、それは重要なことではないと言っているに等しいのです。つまり、学校で学習内容の軽視です。

それだけであれば、問題は大きくはありません。偏差値批判は結構だと思います。学力偏重批判も問題ないです。自由に主張を述べるべきです。その発言には一理あることもあるでしょう。しかし、偏差値批判派の間違いは、偏差値を批判(間接的に学習内容の軽視)しながら、価値基準の軸を義務教育以上の学校への進学へ置いたままだったことです。学力偏重批判は結構ですが、学力が伴わなくても進学させろ、は理論の逸脱です。
                              
高校はともかく、大学は思索、研究するところです。AO入試が大学生の学力低下の一つの原因として批判されています。当たり前のことです。大学での勉強に必要な基礎学力と一芸に秀でていることとは全く無関係なのですから。

偏差値批判は、進学不要論もあわせて展開しなければおかしかったのです。勉強の成績が悪く、勉強が嫌いであれば、早く社会に出て働きなさい、学歴が何だ、働くことは尊い、ということを大きな声で言うべきだったのです。大学には勉強したい学生だけが進学すればよい、とはっきり言うべきだったのです。しかし、偏差値批判派は進学への価値基準を放棄しなかった、いや、放棄するどころか、進学自体にその価値基準のほとんどを置いていたのです。

学歴偏重をを否定せずに、偏差値批判、つまり学力偏重批判をする。それが招くものは、進学先の学校の学力レベルの低下です。それこそが望ましい姿です。基礎学力なんか無くてもどうにかなってしまう大学、それこそが、偏差値批判派にとっては理想であるということになります。分数のできない大学生、英語の過去形の分からない大学生。日本の教育の現状はまさしく偏差値批判派の理想に近い形になってしまった。

偏差値批判派の人たちだけで、強引に日本の教育をレベルを引き下げたとは思いません。しかし、現象だけしか見ない浅薄な偏差値批判が、今の日本の教育の状況を作り出したことに一役買ってしまったことは否定できないと思います。




nice!(0)  コメント(1)  トラックバック(0) 
共通テーマ:学校

nice! 0

コメント 1

あきやま

AOや推薦をやめたら大学はレベルが下がるのに
AOや推薦が学力レベルを下げているというのはどういうことでしょうか?

一般入試以外が例外的であることが素晴らしいならどうして慶應に合格できる学力で(一般率がより高い)理科大やMARCHに行こうとする、ということがほとんど起きないのでしょうか?

そもそも推薦については全員現役で高校の履修全科目が評定に関わるのですから一般入試偏差値が多少低くても高校の学力が低いといえるんですか?


by あきやま (2012-10-31 19:50) 

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

トラックバックの受付は締め切りました

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。