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東大合格者数No1.。目標に近づくためにZ会で実力upを。

受験生につき、息子の雪かき仕事を免除する。 [高校生の日々]

二週続けて大雪となりました。南関東ではあまり雪が降りませんから、たまに降る雪には趣があって嫌いではないのです。でも、大雪となると話は別です。雪が積もると雪かきをしなければなりません。これが面倒なのです。

我が家の前の道は車の通りが少なく、また脇の生活道路も70代後半の一人暮らしの方との共用なので、雪かきとなると結構な作業なのです。近所の方たちの倍以上の作業をしなければなりません。

僕は、雪は放っておけば自然に解けるのですからお隣の御老人が歩く部分の雪だけをどかしておけばよいと思っています。しかし、世間体というものもあるのでそうはいかないのです。昨日も、雨が止んだ後に近所の方たちが雪かきを始めました。それで、僕も仕方なく始め、我が家の責任範囲の雪をきれいに脇に寄せました。

息子のメイも高校二年生ですから、この作業の貴重な戦力です。先週の雪かきも半分以上は任せました。しかし、昨日は僕と妻で片付けました。

昨日、メイは近所の図書館に行っていたのです。もしかしたら、雪かきをやりたくないために図書館に行ったのかもしれません。そんなメイの意図を察してか、妻は彼を呼び戻して雪かき作業をさせることを強く主張していました。図書館内では携帯電話を切っているかもしれませんが、その図書館は我が家から徒歩圏ですので、呼び戻すことは簡単なのです。しかし、昨日はメイには手伝わせませんでした。もう受験生だし、勉強に集中してほしかったのです。

受験生とはいえ、受験までまだ一年はあります。雪かきくらい手伝わせるべきであるという妻の主張は正しいと思います。受験生だからと言って何もかもが特別扱いの対象になるわけではありません。

しかし、大学受験となると親としてももう勉強を見ることはできません。僕はメイの分の雪かきをすることで少しはメイの勉強に協力したいと思ったのです。

雪かきは一、二時間の作業ですが、同じような気持ちで子どものためを思い、働いている保護者の方は多いと思います。子供のためと思うと親というものは頑張れるものなのです。

しかし、翻って自分の学生時代のことを思い出してみると、そんな親の苦労のことなどほとんど考えていませんでした。こういう親の気持ちがわかるようになったのは、自分が子育てをしてからです。ま、そういうものなのでしょう。

昨日の雪かきにしても、メイは僕に微塵も感謝はしていないでしょう。それでよいのです。親に感謝する暇があったら勉強しろ、それが今の僕の気持ちです。




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神頼みでスタートした最後の一年。 [日記]

埼玉県の中学受験が始まっています。10日の朝の通勤時に、受験生である小学生とその保護者の方たちと同じ車両になりました。どの顔も緊張している面持ちでした。本命校の受験でなくても緊張するのは当然です。

僕たちも5年前に中学受験を経験しました。その初日は僕が息子のメイに付き添い、試験中は控室でわらにもすがる気持ちで膝の上で手を合わせていたのです。

この祈りの基本的な形は、生理的に気持ちを落ち着ける効果があるそうです。確かに、手を合わせると心が落ち着きます。僕はそうやってメイの試験が終わるのを待っていたのです。

無宗教といわれる日本人でも、お正月には大勢の人が初詣に出向き、多くの人にとっておそらく年1度のお祈りのポーズで神様に願い事をします。賽銭箱にお金を投げ入れ願い事をしてから立ち去る人たちの表情が穏やかなのはこの祈りのポーズの効果かもしれません。

僕の今年の初詣は、地元の神社と大宮氷川神社でした。

僕は二十歳になってから毎年大宮氷川神社に初もうでに行っていました。御利益のほどは分かりませんが、特に悪いことがなければそれもご利益と考えることもでき、そう考えてしまうと平々凡々たる日々の連続であっても毎年行かざるを得ないのです。

しかし、過去2年、僕は大宮氷川神社に行かず、初もうでは近所の神社で済ませていました。その間、家族の健康も僕の仕事も別段問題はなかったのです。全く問題ないように見えましたが、メイの成績、特に模擬試験の偏差値は低迷していました。

メイの成績の低迷と大宮氷川神社の初詣とは実質的に何の関係もありません。お宮参りで成績が上がるなら毎日だって行きます。

しかし、何らかのことを期待して初詣に行くくらいの信心はあるので、大宮氷川神社に初もうでに行かなかった年に息子の成績が低迷していたということに気が付いてしまうと、この事実はもう無視できません。

それで、僕は大宮氷川神社の初もうでを復活させたのです。お賽銭は過去2年分も含めて通常の3倍にし、具体的な模擬試験名とその目標とする偏差値を神様にお願いしてきました。

僕はこうしてメイの大学受験勉強の1年を神頼みでスタートさせました。あと一年と思えば思うほど気持ちは急く。でももう親として何もできない。そんな時は両手を胸の前に組み心を落ち着けることにします。天は自ら助くる者を助く、結局はそいうことなのです。この一年はメイの頑張りがすべてなのですから。




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息子の成績を受け入れる勇気。 [高校生の日々]

息子のメイは中高一貫校の高校2年生です。11月の初めに中学1年から所属していた運動部を引退し、勉強中心の生活を始めています。

それから一か月半、しっかり勉強しているように見えました。ですから、冬休みに入ってすぐの東進の模擬試験に僕は少なからず期待していました。

しかし、メイの自己採点には落胆してしまいました。特に英語がよくない。あれほど英語は大事だといってきたのに、、、。

いままでは、メイの成績には冷静に対応してきました。学校の成績が良くなくても、模試の結果が悪くても、感情的になることなく、メイを褒めるだけの心の余裕はどうにか維持してきました。

しかし、今回は部活動も終わり勉強中心の生活に移行していたこともあり、それなりの点数を期待していたのです。それで、その自己採点の点数を聞いた時に思わず厳しいコメントを発してしまったのです。

「英語は大切だとずっと言ってきたはずなのに全然できるようになっていない。きちんと勉強をしているのか?」といったニュアンスのことを言ってしまいました。

冷静になって考えてみれば、それまでの模試の結果と大差はなく、特に不出来というわけではありません。12月の初めに戻ってきた河合塾の模試の出来から見れば順当な点数です。

河合の模試を受けたのは11月上旬。そして今回は12月の下旬。いくら勉強中心の生活を始めたからと言っても、たった一か月半で成績が良くなるわけもありません。しかもその一か月半のうち、半分は学校の定期テストのための勉強をしていたのです。

受験のための勉強が始められたのは12月の上旬からといったところでしょう。たかだか2-3週間程度の勉強で模試の点数が上がるわけがありません。

そもそも模擬試験での成績アップの指標となる偏差値は相対的なものです。メイがいくら勉強をしてメイ自身の学力をアップさせても、周りがメイと同じだけ実力を上げていればその努力が偏差値に反映されることはありません。

もしかしたら、メイの成績が上がらないのはこれが原因かもしれません。メイは全く勉強してこなかったわけではない。まじめに学校への授業に参加し、宿題もこなしている。自宅での勉強時間も成績上位者ほどではないけれど、できる範囲でやってきたはずなのです。ですから今の成績は間違いなくメイがそれなりの努力をした結果であるのです。

問題は、つまり僕自身の問題は、それを認めていないことなんだと思います。理屈では分かっていても、自分で自分を納得させられなていない。現実から目をそらしているだけかもしれないのです。

そうであるのなら、多分そうなんだと思うのですが、自分にとって大事なことは現実を認める勇気を持つことなのだと思います。

保護者としての僕ができることは、もうこの時点になると、息子をサポートすることでしょう。息子が成績で悩んでいれば相談に乗り励まし勇気づける、これが親の役目だと思う。

僕の模擬試験の結果に対する反応はこれとは全く逆でした。僕はいま、冷静さを欠いてしまったことを恥じています。

僕は勇気をもって息子の成績を認めなければならない。今僕にできるのはそれだけかもしれないのです。




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